水泳の楽しさについて考える(2) =水泳コラム-その1=
前回の続きです。
水泳の知的スポーツとしての面白さを整理してみました。
一つ目は頭を使って体をコントロールすること=フォームの改善で技術の向上が実感しやすいという点でした。
そこで二つ目は、慣れない水中で体をコントロールするという点です。
= 2. 慣れない水中で体をコントロールする =
陸上で行うスポーツの動きは、日常的なわかりやすい動きから、非日常的な動きまで、当然すべて重力下で行われるので、難しさの程度に差こそあれ、その感覚は普段動かしている体の操作感覚の延長線上にあります。
ところが、水中では浮力によって重力が極端に減り、水による抵抗が非常に大きくなるため、地上での運動の感覚とは全く違う世界に直面します。
この違和感自体が面白さであるという見方もできると思います。
おそらく子供の頃にプールや海が面白いと感じたのも、この日常にはない水中での身体感覚が理由の一つだったかもしれません。
ところが、大人になって水泳を始めて、スムーズに泳ぐことを目的とした場合、この水中での特殊な身体感覚は大きな壁となります。
まず、
理想的な水中での動きについてのイメージが違ってきます。
つまり、泳ぎ自体についての理解が浅いうちは、頭で思い描く理想的な泳ぎのイメージが、実際の水中での効率的な動きとかけ離れているということです。
頭の中にお手本があって、そのお手本の通り体を動かそうとするのですが、そもそもそのお手本が間違っているという状況です。
次に、
仮に理想的な泳ぎを頭できちんと理解し、イメージできたとしても、その通りに体を水中で動かすには、やはり水中での身体操作に慣れていないと難しいという点です。
頭でまっすぐ手をかこうとしても、それ以外の体のバランスや水の抵抗等によって、実際にはまっすぐかけていないという状況です。
水中という感覚の大きく異なる世界にあるため、頭→体という運動のシステムの、その両方が上手く機能しないということが、上手く泳ぐための大きな壁となることが多いです。
では、そんな水泳の一体どこが面白いのでしょうか?
それは、大げさに言うと
水の世界の理(ことわり)を発見する楽しさ
ということになります。
大げさですねw
今挙げた、水中で自分の体をコントロールすることの難しさというのは、乗り越えるべき「壁」であっても取り除くべき「害」ではないということです。
つまり、その難しさの壁を乗り越えることがそのまま泳ぎを理解することであり、水の中で運動をする理(ことわり)を体感しながら発見してゆく楽しみだと思うのです。
もちろん、それらのことはすでに競泳選手であれば当たり前のことであったり、すでに一般的に広く知られていることで、別に自分で新しく発見したものではありません。
新しく発見するのは自分が水中でどう体を動かせば、より効率的に泳げるか?という自らの感覚についての発見です。
自分がどうやってこの壁を楽しんでいるか?というと、
→ネットなどで理想的な泳ぎを見つける(情報収集)
→どうしてこの人は効率的に泳げているのか?(課題を見つける)
→もしかしたら体をこう使ってるからかな?(ポイントを絞って仮説を立てる)
→実際にやってみる(実験・検証する)
→まあ、すぐには上手く行きません(結果分析)
→やり方を変えてみる(仮説の再検証/自分の動きの見直し)
→やがて、わかった!という瞬間がある(発見)
→上手くいった時のやり方を再現してみる(追認)
→体に定着するまで繰り返す(反復練習)
→すると次の課題が見つかる・・・最初へ戻る
このサイクルがじつに楽しいんです。
自分で仮説を立てて、それを検証して、理想的な動きを発見する楽しさ。
このサイクルが上手く回り出すと、いい発見があって動きが改善される→今まで見えなかった課題が見える→その課題を解決してゆく・・・といった好循環が生まれます。
すると、発見する楽しさに、次第に泳ぎが上手くなる実感もともなって、ますます水泳が楽しくなるのです。
このサイクルを支えているのは運動神経や身体能力ではなく、どう体をコントロールしてゆくか?という思考力+身体感覚です。
ここが、知的スポーツとしての水泳の醍醐味だと感じています。